東京と日本の中央駅。東海道・山陽・東北・上越・山形・秋田・北陸の各新幹線、東海道・中央・総武・東北の各線、山手線や京浜東北線などの電車が、一日あたり3000本以上行き交い、100万人以上の利用者で終日賑わう。駅弁はJR東日本やJR東海の子会社のもので約100種類とも、エキナカの商品を含め400種類以上とも、デパ地下の弁当を含め1000種類以上とも言われ、さらに全国各地の駅弁も集まり、こちらも日本最大。1914(大正3)年12月20日開業、東京都千代田区丸の内1丁目。
2018(平成30)年10月の発売か。過去の同社製「カシオペア弁当」と同じ構造の容器の、外箱が山手線E235系電車となっている。中身もカシオペア弁当とまったく同じで、細長いプラ製トレーの下段にいなりずし、太巻きと細巻き、サーモンとボイル海老のてまりずし、上段に鶏唐揚、鶏肉団子、焼鮭、きんぴら、煮物、玉子焼。2019年4月頃までの販売か。
E235系電車は、2015(平成27)年11月30日に山手線でデビューした、JR東日本の新型通勤電車。見た目や中身を17年ぶり(1998(平成10)年製の209系の500番台や950番台)に一新し、そのためかどうか運転開始日にトラブルが重なり約3か月運休し、その約1年後に量産型が登場、2018年時点で50本か52本ある山手線電車を徐々に置き換えつつある。先頭車の四角い顔と、液晶画面だらけの車内が、客から見た大きな変更点。
※2020年12月補訂:終売を追記駅弁の名前のとおり、JR烏山(からすやま)線の新型車両「EV−E301系」の、鉄道友の会の2015年「ローレル賞」の受賞を記念して、2015年10月24から31日まで大宮駅と東京駅と鉄道博物館で販売した弁当。掛紙には、該当の車両の外観と車内とロゴマークを印刷する。容器と価格は駅弁誕生130周年記念秋の味覚弁当と同じ。中身も松茸飯を塩ごはんに置き換えたのみである。
JR東日本のEV−E301系電車は、2014(平成26)年3月ダイヤ改正で、栃木県のJR烏山線でデビュー。国内で初めて営業運転を実施した、バッテリー駆動の電車である。車内にリチウムイオン電池を搭載、東北本線に乗り入れる宇都宮駅〜宝積寺駅の架線や、烏山駅に設けられた架線から直流1500ボルトの電気を得て充電し、電化されていない烏山線をバッテリーからの電気で走る。
海外では、路面電車が市街地の上空に電線を引いて景観を害したくない場合に好まれる技術。国内でも(公財)鉄道総合技術研究所が、やはり路面電車の中古車や試験車両で2003(平成15)年から実験を続けている。国内の鉄道会社はどうも、電力会社との契約電力を減らして電気代を節約したり、今回の烏山線のように電化せずに電車を走らせることで電気設備を節約したりディーゼルカーのメンテナンスを省くという、合理化の観点で興味を示しているのではと思う。
2015(平成27)年3月14日の上野東京ラインの開業を記念して、同日から5月31日まで東京駅、上野駅、品川駅、大宮駅、鉄道博物館などで販売。車内販売に乗るとは聞いていなかったので、常磐線特急ひたち号の車内で買えて驚いた。掛紙にはこの特急列車と、上野の西郷隆盛像、東京駅舎、水戸の後楽園の梅林の写真を使う。茨城出身でいばらき大使の磯山さやかさんを起用し、同氏がプロデュースした茨城の農産物を使用したこだわり弁当という位置付け。
9区画の中身は、「雑穀入りご飯、茨城県産しらす、飾り人参煮」「飯村牛(茨城県産)入りコロッケ、枝豆入り真丈揚、二色パプリカ揚」「五目ご飯、穂筍煮」「常陸鶏(茨城県産)唐揚の野菜入り和風あんかけ、ピーマン素揚、ブロッコリー」「ひじきご飯、刻み梅」「ローズポーク(茨城県産)照焼、人参コンソメ煮、ミニ玉葱コンソメ煮、いんげん」「茨城県産蓮根のサラダ、茨城県産さつまいも甘露煮」「茨城県産メロンのゼリー」「玉子焼、鯖塩焼、菜の花お浸し」で9区画。茨城を使う、なんでもまるごと弁当。
東北新幹線の工事により1973(昭和48)年に分断された東海道本線の東京駅から東北本線の上野駅までの線路について、2002(平成14)年3月にJR東日本は「東北縦貫線」として、2009(平成21)年度までに自社負担で約300億円かけて建設することを発表した。またまた神田地区の反対で着工が4年遅れ、東日本大震災で工事が1年遅れ、真夜中の都心で鹿島建設が夜な夜な鋼鉄の柱を立て桁を架け、約400億円の事業費をかけて、2015(平成27)年3月14日のJRグループのダイヤ改正に合わせて「上野東京ライン」の愛称で開業した。上野駅止まりの宇都宮線や高崎線の電車と、東京駅止まりの東海道本線の電車が相互に直通し、常磐線電車の一部が品川駅まで乗り入れた。
JR東日本は上野東京ラインの整備理由を、公式には上野駅から御徒町駅までなどの混雑緩和、乗り換えの解消による速達性の向上、輸送ネットワークの強化とする。一方で昭和初期から田町駅と品川駅の間にある車庫では、寝台特急を廃止し、通勤電車の車庫機能の一部を神奈川県国府津や埼玉県大宮へ移し、生み出した土地の更地化を進めた。上野東京ラインで東海道本線と東北本線を結べば、車両を東京都心に置かず、郊外へ逃がすことができる。
2014(平成26)年6月にJR東日本は、こうして東京都港区内で生み出した13.9ヘクタールの土地で、新駅を設置して不動産開発を実施すると発表した。つまり、400億円の投資で2000億円(=200万円/u×100000uと計算)分の土地を生み出す事業が、上野東京ラインであると考えることができる。その高輪ゲートウェイ駅は、東京五輪の開催前の2020年の春に暫定開業する予定。高さ約170mのオフィスビルやマンションなど8棟のビルを建て、駅や広場などを含め2024年度までに5000億円を投資し、3000億円の利益を得ると報道されている。
2014(平成26)年の発売か。上野駅と札幌駅を結ぶ寝台特急列車「カシオペア」の展望寝台車両「スロネフE26」を模した紙箱に、細長いプラ製トレーを2階建てに入れ、下段にいなりずし、太巻きと細巻き、てまりずし、上段に鶏唐揚、肉団子、焼鮭、煮物、玉子焼などを詰める。豪華寝台特急列車と紹介されるオールA寝台2人用個室の車両や列車とは、値段も内容もまるで関連性を持たない、酒のつまみ。列車が北海道新幹線開業を口実に2016(平成28)年3月に廃止されても、以後もこの商品は売られ続けたが、2016年内に終売か。
※2019年8月補訂:終売を追記駅弁の名前のとおり、埼玉県さいたま市の鉄道博物館での標記の特別展の開催に合わせて、2013(平成25)年10月12日から翌2014年1月13日まで、東京駅と大宮駅と鉄道博物館で販売した記念駅弁。北陸新幹線向けE7系新幹線電車のイラストを描いた掛紙を使う。中身はマス寿司、かにめし、ブリ照焼とかまぼこと玉子焼、鶏肉の治部煮、ホタルイカわさび漬、ホタテやレンコンやサトイモなどの煮物など。富山や金沢をイメージした中身に見える。知っている人にはとても分かりやすいコンセプト。
今回(2015年3月)開業の北陸新幹線がどんな峠を越えているかというと、飯山駅と上越妙高駅との間の飯山トンネルで信越本線でいう野尻坂峠を、新高岡駅と金沢駅との間の新倶利伽藍トンネルで倶利伽羅峠を、それぞれ越えている。いわゆる長野新幹線も公式には北陸新幹線であり、1997年10月にあの碓氷峠を越えた。
2010(平成22)年4月10・11日に東京駅構内で開催された「駅弁の日 東日本縦断駅弁大会(春)」こと第11回東日本縦断駅弁大会で販売された記念駅弁。小柄な長方形の容器に同じ素材でふたをして、駅弁マークを大きく印刷した掛紙を巻く。中身は日の丸御飯に大きな玉子焼を2切れ、サーモントラウト塩焼、かまぼこ、舞茸天、サトイモなどの煮物、菜の花辛子和え、柴漬け。過去の同種商品に対して分量と価格を抑え、味は同じ。
掛紙の左端で駅弁の日について語られる。記念日の由来は公式発表どおりだが、駅弁の日の駅弁という新商品を発売しているということは、20世紀にはそうだったのかもしれないが近年は経験上ほとんど見られないと思う。NREこそこうやって駅弁大会の開催を恒例化しているものの、この日に各地の駅弁屋を巡っても通常営業である。
山手線100周年をまた記念して、2010(平成22)年の京王百貨店駅弁大会の会期に合わせて1月7日から19日まで販売された記念駅弁。正方形の経木枠の容器に、山手線の昔の電車の写真を掲載した掛紙をかける。中身は日の丸御飯とあさり御飯、鮭塩焼、鶏照焼、とんかつ、玉子焼、ニシン昆布煮、有頭海老、ニンジンやサトイモなどの煮物、べったら漬、うぐいす豆など。掛紙と名前で駅弁と駅弁大会を盛り上げる目的の商品なのだろう、東京駅などで過去に出された各種の記念弁当と、同じ価格と容器でありほとんど同じ内容である。
写真の国鉄103系電車は、山手線のために開発された。中央線に投入されたオレンジ色の新性能電車101系は、電力消費量が多いため変電所設備の増強を必要としたため、当面の混雑緩和を目的に加速性能を落として製造費と電気代と設備投資費用を節約した新形式を起こして、1964(昭和39)年に投入されたものである。
この経済的な電車は高度経済成長で増加が止まらない首都圏の通勤電車需要と国鉄の財政難により量産が続き、最終的には21年間で3,447両も製造されるという、空前かつおそらく絶後の一大グループとなった。これは使い勝手の良さもあったのだろうが、国鉄末期に財政危機や組合問題で新しい車両や技術の導入が滞った影響でもある。
2011年現在でも、私鉄並行区間を除いて新車の投入が控えめなJR西日本と、1983年の筑肥線電化の際に製造された比較的新しめな電車のみを持つJR九州での活躍が続く。山手線からは1988年6月に撤退したが、写真の顔を持ついわゆる低運転台の車両は、信号設備のATC化により1981年までに撤退している。
2010(平成22)年1月10日に購入した、東京駅弁の掛紙。中身や価格は上記の駅弁「山手線100年の歴史弁当」と同じで、掛紙の写真が国鉄ホデ6100電車となっている。
今では鉄道や列車の代名詞となっている「電車」は、明治時代から第二次大戦を経て昭和20年代から30年代くらいまでは、通常の鉄道である「汽車」に比べて速度も輸送力も乗り心地も劣る、今では路面電車やチンチン電車と呼ばれるタイプの鉄道車両を指していた。鉄道ファンに機関車列車やディーゼルカーを「電車」と呼ぶと怒られるし、古くから活躍する鉄道趣味界の重鎮に通常の鉄道を「電車」と呼ぶと嫌悪感を抱かれるそうな。
2010(平成22)年1月10日に購入した、東京駅弁の掛紙。中身や価格は上記の駅弁「山手線100年の歴史弁当」と同じで、掛紙の写真が国鉄63系電車となっている。
第二次大戦中に工場や工員の増加や自動車の燃料難で利用者が急増した都市部の路線の輸送力増強と、終戦直後の殺人的混雑をさばくため、1944(昭和19)年から1951(昭和26)年にかけて乏しい資材で688両も製造した通勤型電車。1951(昭和26)年4月に106人が焼死した電車火災「桜木町事故」を契機に車両の改善は進んだが、この電車が生んだ全長20メートル、片側4扉という車両構造は、その戦争中に発生して21世紀の今日まで続く首都圏の混雑電車にそのまま受け継がれている。
パッケージから判断しておそらく、下記の駅弁「山手線命名100周年記念弁当」と同じく、山手線の命名100周年を記念して、2009(平成21)年10月に販売した記念商品だと思う。えらくワイドボディな山手線電車型のボール紙箱に、小さな小さな鮭おにぎり、梅干おにぎり、アサリ佃煮おにぎりを各1個、まとめて透明なプラ製容器に詰めるもの。コンビニおにぎりよりちょっと割高だけれども、鉄道ファンなら買って楽しい超軽食。
第二次大戦前の路線名は、漢字名こそかっちり定義されたが、これに読み仮名が振られていなかった。第二次大戦後に日本へ進駐した米軍の指示により、鉄道の駅名標や列車の行先表示板にアルファベットを振る際に、当時も今と同じ「やまのてせん」と呼ばれていた山手線に「YAMATE LINE」と書いたため、「やまてせん」の呼び方も昭和の頃は広く使われた。
今は時刻表でも電車の行先表示器でも「やまのてせん」「YAMANOTE LINE」で統一されているが、業務用や鉄道ファンの間では、ヤマテセンの名こそ聞かないものの略称として「ヤマテ」の呼称も使われる。
駅弁の名前のとおり山手線の命名100周年を記念して、2009(平成21)年10月1日から31日まで東京・品川・新宿・上野の各駅で販売された記念駅弁。真円形の経木枠の容器に透明な丸いふたをして、容器の形状に合った緑色の掛紙を巻いて、食品表示ラベルで留める。中身はケチャップライスに丸いグリーンピースと円形の玉子焼、丸いトンカツとハンバーグとポテトコロッケとパスタと揚げナス、さくらんぼなど。
円形と緑色にこだわった、しかし食べておいしい洋食弁当。付録のシール2枚とおしながきも緑色で丸いし、実はケチャップライスの上に「100」の数字が描かれるし、掛紙の「山手線うんちく劇場♪」は販売駅ごとにその駅の情報が書かれたという、1か月で販売期間を終えるのがもったいないほどたくさんのこだわりに包まれていた。
現在のJR線の路線名の多くが、1909(明治42)年10月12日の鉄道院告示第54号「国有鉄道線路名称」で制定されており、山手線に限らず北は富良野線から南は長崎本線まで命名100周年となる。当時の山手線は赤羽駅から品川駅までと池袋駅から田端駅までと大崎駅から大井町駅までで、現在は品川駅から田端駅までとなっている。公式には東京駅から品川駅まで東海道本線を、東京駅から田端駅までは東北本線を走っているということは、鉄道ファンへの初級問題。現在のような環状運転が開始されたのは1925(大正14)年11月1日のことである。
2009(平成21)年3月14日JRグループダイヤ改正による、東京駅と熊本駅を結ぶ寝台特急列車「はやぶさ」と、東京駅と大分駅を結ぶ寝台特急列車「富士」の廃止に伴う記念弁当で、3月1日から14日まで東京駅と鉄道博物館で販売。今回は掛紙の差し替えはなく、1種類で通して発売した。なお、3月7・8日の横浜駅西口での廃止記念グッズ販売イベントでは、掛紙の絵柄が異なるものを販売していた。
木目柄で正方形の容器にボール紙のふたをして、箸袋に駅弁の名前が書かれた割りばしを置いて輪ゴムで留めて、寝台特急列車「富士・はやぶさ」の写真を載せた掛紙をかけて、ひもで十字にしばる。その色調は記念対象列車の車体色にちなんだ青色で、同色のビニール袋も添付。
中身は列車の運転区間の沿線にちなみ、富士山を模した赤飯とカニフレークにはやぶさ型のニンジンを置き、東京でベッタラ漬、横浜で焼売、静岡で抹茶わらび餅、名古屋で味噌カツ、京都で豆腐湯葉磯辺揚、大阪でたこ焼き、山口で有頭海老素揚、福岡で高菜炒め、熊本で辛子蓮根、大分で椎茸煮、その他玉子焼などを詰める。風味はいつものNRE。中身や価格や味がどうであれ、掛紙で買われていった記念駅弁だろう。
国鉄の分割民営化(1987年)から22年、当時は国鉄の看板商品であった九州ブルトレこと東京と九州を結ぶ寝台特急列車群が、全廃される日が来るとはまさか思われなかったであろう。廃止の理由を公式や報道では利用減としかしなかったが、JR発足直後のテコ入れの効果が上がらなかった実績があるにせよ、当館の各地に書いていると思うJR東日本・東海・九州の各社の都合により、体よく安楽死させられて3社ともハッピー、と思えてならない。本列車の廃止後にJR九州が余剰車両を利用して九州各地でブルトレツアーを主催して人気と収入を得ているとは、皮肉が効いていると思う。
2008(平成20)年3月15日ダイヤ改正に伴う東京駅と大阪駅を結ぶ寝台急行列車「銀河」の廃止を記念して、同年同月12から14日までの3日間に東京駅と鉄道博物館で販売された記念駅弁。同列車の牽引機関車とテールマークを掛紙に使用する。
中身は列車の運転区間にちなんだそうで、あさりご飯と煮物が東京、焼売が横浜、ウナギの小片が載る白御飯に味噌カツが名古屋、漬物で京都、たこ焼で大阪。その他は赤魚焼、玉子焼、汽車型の蒲鉾、菜の花、鶏唐揚、和菓子など。2年前の「さよなら出雲記念弁当」と似たようなもの。日替わり掛紙で10日間連続発売を敢行した前回と違い、今回は3日間とも共通の掛紙だった。
東京と関西を結ぶ夜行列車は1889(明治22)年の東海道本線全通で始まり、1949(昭和24)年に東京駅から神戸駅までの夜行急行列車1往復に「銀河」の名が付く。その後に7往復まで増えた同種の列車は、1964(昭和39)年の東海道新幹線の開業により「銀河」1往復を残して廃止されるが、新幹線や飛行機よりも遅い時間に出発でき、翌朝の各始発便より早く目的地に着ける利便性から、国鉄の夜行バス「ドリーム号」とともに、昼間の交通機関と長い間共存してきた。
しかし1987(昭和62)年の国鉄分割民営化以降は利用が漸減し、2008年3月14日限りでの廃止が決まることになる。新幹線の高速化や飛行機の増便に大衆化、夜行バスの成長の影響もあるだろうが、廃止の主因はJRの希望によるものだろうし、約30年間も放置された車両や時刻や運賃は利用減を期待したのではとも見える。列車を担当したJR3社のうちJR東日本が田町の車庫の再開発事業への転用を希望し、JR東海が電車でも気動車でもない機関車牽引の列車を毛嫌いし、JR西日本は特に利害がなさそうだが他2社の反対に対抗する材料もないだろう。近年の夜行バスが運賃や設備やダイヤを多様化し、航空が運賃や座席や予約を多様化する一方で、鉄道では日中短時間への一様化が進んでいる。
2006(平成18)年3月18日JRグループダイヤ改正による、東京駅と出雲市駅を結ぶ寝台特急列車「出雲」の廃止に伴う記念弁当。掛紙写真を事前に募集し、3月8日から17日まで合計10種類の日替わり掛紙を使用した。写真はその3月10日版。
経木枠の正方形の容器にビニールをかけて、お品書きを載せて経木のフタをして輪ゴムでしばり、公募写真を1点載せたレーザーカラープリンタの掛紙をかけて、麻ひもで十字にしばる。中身は10日間共通で、うなぎが載る白御飯と、アサリとカニが載る茶飯、赤魚照焼に蒲鉾に玉子焼につくねやコノシロ、里芋などの煮物に菜の花やなめこなど。中身は可もなく不可もなく。しかし掛紙完集を目指して10日間同じものを食べ続ければ、数日で飽きてそのうちウンザリしそうな内容。
2006(平成18)年3月11日の調製である東京駅弁の掛紙。上記駅弁の3月11日版。「出雲」の写真が入れ替わり、掛紙の色調が変わり、さらに掛紙上部の電気機関車がディーゼル機関車に変わっている。中身は当然に同じ。
国鉄の分割民営化は、結果的に寝台特急列車の息の根を止めた。列車が経由する全社の合意を経るという煩雑な手続きのために、車両の更新は止まり、ダイヤの改善も止まり、乗客の減少とサービスの低下を繰り返したあげく、列車本数の漸減が進んだ。見方を変えれば、昭和50年代に経営難の国鉄が打ち出して世論の反発と政治問題を招いた、夜行列車の全廃を進めることができたとも見える。
2006(平成18)年3月12日の調製である東京駅弁の掛紙。上記駅弁の3月12日版。「出雲」の写真がまた入れ替わり、掛紙の色調がまた変わり、さらに掛紙上部のディーゼル機関車が少し動いている。中身は当然に同じ。当館の収蔵はここまで。
「出雲」廃止の表向きの理由は、利用の減少と東京駅の発着容量の不足。前者は30年も旧態依然で走っていれば当然だが、後者は寝台特急が減少しているので理解し難い。ただ、これを翻訳して、国鉄分割民営化時の協定によりJR東日本は「出雲」の収入のうち東京駅から熱海駅までの分しかもらえないのに、日中に田町の車庫を1線使われてしかも車内整備をしなければならず、その経費負担に嫌悪を示している、とすれば理解しやすい。当時に6往復を数えた東京駅発着の寝台特急は、電車併結の「サンライズ出雲・瀬戸」と客車の「はやぶさ・富士」併結の2往復に減少し、JR東日本が望むであろう全廃も近いかもしれない。
2005(平成17)年10月9・10日に上野駅と新潟駅との間で運転されたイベント列車「懐かしの特急とき号」に合わせ、列車内とおそらく東京・上野・品川・新宿・大宮の各駅で販売された記念駅弁。従前の「復刻昭和弁当」などと同じ容器と中身と価格で、掛紙だけ特急とき号の写真を載せた特別バージョンに変えている。
特急とき号は、1962(昭和37)年から1982(昭和57)年まで上野と新潟を上越線経由で結んだ電車特急。乗車率でも鉄道ファンにも人気の列車は、上越新幹線の開業でその名称を新幹線に譲り消滅したが、2001(平成13)年から年中行事で復活運転が続く。
蒸気機関車「D51498」の復活15周年を記念して、2003(平成15)年4月25日から1万個限定で東日本キヨスクが販売した駅弁。簡便ながら車両の特徴をよく再現した紙箱にミニ惣菜容器をふたつ入れ、ひとつは鮭・タラコ・昆布・ツナの具をまとう小柄なおむすびが4個、ひとつはポテト・ウインナー・鶏唐揚・肉団子・玉子焼という子供向けなおかずが入っている。線路と車両のペーパークラフト付き。価格の割によくできた品物で中身の品質も高く、レギュラー入りできる実力を備えていると思う。