札幌駅から特急列車「北斗」で約2時間。長万部町は北海道の南部で噴火湾に面する、人口約5千人の町。国道や鉄道が分岐し、高速道路も通じ、将来は新幹線の駅が約束されている、江戸時代からの交通の要衝。駅弁は昭和のはじめから2社が営業。今は駅では売られないが、駅前で「かにめし」と「もりそば」が地元と自動車の客に親しまれる。1903(明治36)年11月3日開業、北海道山越郡長万部町字長万部。
1950(昭和25)年に長万部駅で発売。昭和時代には全国に知られた有名な駅弁のひとつで、北海道を代表するカニ駅弁のひとつ。当時に夏の長万部駅のホームで売られた毛ガニの丸ゆでを弁当にしたものだという。容器は昔ながらの平たい経木折。これに駅弁の名前とカニを描いた青い掛紙をかける。中身は味付飯の上にタケノコ混じりのカニほぐし身を敷き詰め、錦糸卵、シイタケ、梅干し、グリーンピースで彩り、ワカメ佃煮、缶詰みかん、大根桜漬、奈良漬を添えるもの。価格は2006年時点で1,000円、2010年時点で1,050円、2014年時点で1,080円、2018年3月から1,180円。
長万部は、函館本線が室蘭本線を分ける鉄道の要衝であり、国道5号が国道37号を分ける道路の要衝でもあった。1943(昭和18)年に長万部村が町制を敷いた頃には一万数千人の人口を抱え、国鉄の町があり、商業で栄えた。1986年の国鉄ダイヤ改正で長万部駅〜小樽駅の函館本線が幹線鉄道の役割を失い、その頃には特急列車の時代となり駅で駅弁が売れなくなり、2000年頃には立ち売りなどの駅での駅弁の販売が消え、2019年には車内販売の廃止で特急列車への駅弁の積み込みもなくなった。この間に鉄道の町は消えた。また、2001年の道央自動車道の国縫への延伸や2009年の黒松内新道の開通で国道の通行量が減り、駅弁ドライブインなど沿道の商業施設が寂しくなった。
しかし今でも当時の駅弁は消えず、駅前で2社の弁当が買える。それぞれ「かにめし」「もりそば」という看板を確立し、列車や車で客が買いに来る。市制に至らず人口が5千人を割った町に、2030年には北海道新幹線ができて長万部駅ができる。その頃にこれらの駅前弁当は、どうなっているだろうか。
※2022年4月補訂:発売年を1949年頃から訂正し解説文を手直し長万部駅の駅弁「かにめし」の3人前版。付合せがない、味付飯の上にタケノコ混じりのカニほぐし身を敷き詰め、錦糸卵、シイタケ、梅干し、グリーンピースで彩るかにめしのみが、丸い容器に敷き詰められる。味は1人前のかにめしと、たいして変わらない。経木折が発泡材のプラ容器になっても、具が炒り物で水気の影響があまりなかったか。
2020年1月の購入時で、この「3人盛」の3,240円と、「5人盛」の5,400円が、注文販売メニューとして調製元の弁当売り場に掲示され、こうしてデパートの実演販売で買えることもあった。同年11月に現地へ行くと、3,4,5,6人盛の「かにめし特盛」の価格が売り場に掲示されていた。富山駅「ますぶりすし重ね」、岡山駅「贈答用祭ずし」、折尾駅「鉢盛かしわめし」とこれで、内容量における日本四大駅弁だと思う。2020年6月には大館駅で8人前とする「デカ盛り鶏めし」が誕生し、日本五大駅弁に。
※2022年4月補訂:現況を追記2007(平成19)年の秋までに投入された、「道弁」なる駅弁催事向け商品のひとつ。長万部駅弁のかにめしのように角を落とした、長方形の小さな容器を、スーパーやデパートの売り場での見栄えを重視した構造だと思える、立ち上がり付きのボール紙の枠にはめる。中身は白御飯の上にかにフレーク、イクラ、業務用冷凍錦糸卵、帆立をを乗せるもの。
中身こそコンビニの再現駅弁っぽい見栄えと分量だが、食べてみればかなやのかにめしの駅弁の味が出ていると思う。駅弁のかにめしそのものが、駅の中では買えなくなって、事実上ドライブインやクルマの弁当になったことを、これで表したのかもしれない。2007〜2008年の駅弁大会シーズンのみの販売か。
※2020年5月補訂:終売を追記2006(平成18)年1月22日に購入した、長万部駅弁の掛紙。これも駅弁大会での購入だが、掛紙も容器も中身も風味も、現地のものと変わらない。今まで半世紀間、ずっとリアルに描かれていたカニが、なぜか抽象画になってしまった。
2004(平成16)年9月12日に購入した、長万部駅弁の掛紙。「このイラストはイメージです。」の一文が加えられた。上記の催事版とこの現地版に、掛紙や容器や中身、見た目も味も有意な差がなく、これはなかなかすごいことだと思う。
2004(平成16)年1月12日に購入した、長万部駅弁の掛紙。現地でなく、デパートの駅弁大会で買ったため、調製印は百貨店のものとなる。2年半前のものと比べて色調が変わり、食品表示と容器包装リサイクル法に基づく識別表示が右下に加わった。
2001(平成13)年9月10日15時の調製と思われる、昔の長万部駅弁の掛紙。下記の1994年のものと比べて、価格がシールから印字に変わり、調製印が調製日時と消費期限の年月日時二段書きに変わり、意匠登録や商標登録の記述、食中毒防止の注意書き、テレックスの番号、和風レストランの表示が消えている。
1994(平成6)年3月23日14時の調製と思われる、昔の長万部駅弁の掛紙。下記の1992年のものと比べて、価格が100円上がったほか、駅弁屋の名前が変わり、現在の「かなやの」の接頭語が付き、その他一部デザインを修整している。
1992(平成4)年8月29日17時の調製と思われる、昔の長万部駅弁の掛紙。1987年の国鉄分割民営化を受けて、国鉄の駅構内営業者の団体である国鉄構内営業中央会は、その名を日本鉄道構内営業中央会に改めたため、全国各地の駅弁掛紙で名称を差し替えたが、ここでは名称を削除してしまった。
1984(昭和59)年3月31日10時の調製と思われる、昔の長万部駅弁の掛紙。絵柄に変化はないが、上部に「祝長万部駅開業80周年」の文字が加わり、価格がシールで700円に訂正されている。
1981(昭和56)年5月4日9時の調製と思われる、昔の長万部駅弁の掛紙。調製印が掛紙そのものでなく、シールに捺されている。それ以外は下記の前年のものと、まったく変わらない。
1980(昭和55)年12月27日16時の調製と思われる、昔の長万部駅弁の掛紙。下記の前年のものと、100円上がった値段を除き、絵柄も文字もまったく変わらない。
1979(昭和54)年8月28日9時の調製と思われる、昔の長万部駅弁の掛紙。国鉄の旅行キャンペーン「いい日旅立ち」のロゴマークが付き、オイルショックによる物価の高騰で値段が2.5倍に上がり、調製元がドライブインを開業したようだ。
1971(昭和46)年1月3日11時の調製と思われる、昔の長万部駅弁の掛紙。左上に均一周遊券、後のワイド周遊券の宣伝が入る。当時は大きなリュックを背負い、カニのように列車の通路を横歩きし、北海道などエリア内が20日間も乗り放題となる国鉄の均一周遊券を活用し、夜行列車やユースホステルを泊まり歩く若者旅行者、いわゆるカニ族の最盛期であった。
1968(昭和43)年1月7日の調製と思われる、昔の長万部駅弁の掛紙。調製印に高島屋とあり、現地でなくデパートの駅弁大会で実演販売されたものだろう。長万部駅弁「かにめし」は、現地でも催事でも、掛紙も容器も内容も風味も変わらないと思う。
1967(昭和42)年10月21日11時の調製と思われる、昔の長万部駅弁の掛紙。上の掛紙とまったく同じだが、調製印の様式が変わり、販売年が特定できるようになった。
1960年代後半、昭和40年代前半の、8月9日9時の調製と思われる、昔の長万部駅弁の掛紙。このデザインは高度経済成長期、鉄道が陸上交通の王者であった最終期を通してほとんど変わらず、旅客に親しまれ続けてきた。
1963(昭和38)年11月18日16時の調製と思われる、昔の長万部駅弁の掛紙。下記の掛紙「かにめし」と、記載内容はほぼ同じだが、絵柄は作り替えられている。長万部駅の名物駅弁「かにめし」の掛紙が青くなる前の姿を残す。
1960年代前半、昭和30年代後半、10月4日16時の調製と思われる、昔の長万部駅弁の掛紙。長万部駅の名物駅弁「かにめし」の掛紙が青くなる前の姿を残す。