東京駅から新幹線で約1時間。高崎市は群馬県の中央部に位置する、人口約37万人の城下町ないし宿場町。県内最大の都市であり、2本の新幹線と4本の在来線と私鉄が交わる鉄道の要衝。「だるま弁当」や「とりめし」などの名物を擁す駅弁は、1886(明治19)年以降に松本、矢島、末村の各者が進出し、1958年に合併した高崎弁当のものが、横川駅弁や東京駅弁とともに売られる。1884(明治17)年5月1日開業、群馬県高崎市八島町。
駅弁の名前は「とりめし」や「鶏めし弁当」とも。1934(昭和9)年から高崎駅で売られるという、伝統の駅弁。日の丸を背にニワトリとヒヨコ2羽がいる紙のふたの絵柄は、第二次大戦前の駅弁掛紙からきている。長方形の容器に茶飯を敷き、海苔と細かい鶏そぼろで覆い、コールドチキンと鶏照焼をふたつずつ置き、マイタケ入り肉団子、クリ、こんにゃく、漬物を添える。
この高崎駅と、秋田県の大館駅と福岡県の折尾駅で、日本三大鶏飯駅弁ともされる、数十年来の評判作である。駅弁なので水気が少なく味が濃いめ。群馬の鶏飯といえば、駅弁でない登利平の鳥めしも地元で人気だが、こちらの伝統の味も根強いファンが付く。価格は2010年時点で800円、2014年時点で900円、2019年2月から980円、2020年時点で1,000円、2023年4月から1,200円。
※2023年8月補訂:写真を更新し値上げを追記土用の丑の日のお弁当として、2020(令和2)年の夏に販売か。翌2021年の夏からは駅弁売店でも夏を終えても買える模様。掛紙やその絵柄に駅名も群馬もだるまも駅弁マークもない、一方でコピーライトの表記がある、高崎駅や高崎駅で買える駅弁とはまるで違う姿で、ウナギとトリをイラスト化。中身は茶飯を鶏そぼろと錦糸卵で覆い、鶏照焼とウナギ蒲焼を載せ、きぬさやと生姜の酢漬けと山椒の袋を添えるもの。味も中身も、高崎駅で伝統の駅弁「とりめし」にウナギ蒲焼を添えたもの。価格も含めてバランスの良さと安定感が光る。価格は2021年の購入時で1,000円、2023年4月から1,250円。
※2023年8月補訂:値上げを追記駅弁ではないが、群馬や高崎では駅弁の鶏めしに負けない知名度がある、登利平(とりへい)の鳥めし。全国の駅弁と比べて遜色のない容器を、江戸時代の町人か農民が鳥めしを食べている絵柄の包装紙で包む。中身はタレの染みた御飯の上を、鶏肉のソフトな薄焼きと、ウェルダンの照り焼きで覆い尽くすもの。
やや暖かく、消費期限がとても短いので駅弁とは別物だが、パワフルな分量と濃厚な風味で、駅弁よりうまいかもと思わせる実力を感じた。今ではここも駅弁屋の直売でなくJRの子会社の駅弁売店に卸すようになったので、その売店で併売されてもよいと思う。肉と価格が違うパッケージや、色や絵柄の違う包装紙も存在する。これは「松」で、価格は2007年の購入時で735円、2014年時点で820円、2020年時点で830円、2023年時点で900円。
※2023年8月補訂:値上げを追記登利平の鳥めしの「竹」版。上記の「松」との違いは、はモモ肉とムネ肉を入れるが、こちらはムネ肉のみであることと、包装紙の色調や絵柄が異なること。定評の味と温かさは変わらないから、こちらでも十分。群馬県民は上記の「松」よりこちらの「竹」を好むとも聞く。価格は2018年の購入時で710円、2020年時点で730円、2023年時点で780円。
※2023年8月補訂:値上げを追記2013(平成25)年8月23日に購入した、登利平のとりめしの包装紙。左側の店舗一覧を除き、上記の2018年のものと変わらない。容器も中身も味も変わらなかった。
2010(平成22)年10月9月から11日まで東京駅で開催された「第12回東日本縦断駅弁大会」で、復刻販売された高崎駅弁の鶏飯。中身は通常版から鶏スライスとクリと肉団子を抜いて漬物を半分に減らし、ボール紙のふたが真っ白になり、昔の駅弁掛紙のインクジェットプリントで容器を巻くもの。味は通常版と同じだが、過去の鶏飯は今と比べればこんなに中身が寂しかったのかと。
2003(平成15)年頃に発売か。木目調円形のわっぱ型容器に透明なふたをしてボール紙の枠にはめる。中身は茶飯の上にいんげんをふりかけた鶏あんかけがかかっており、これが暖かい状態ではとてもうまく、丼の感覚で一気にかき込める。価格も控えめ。
この駅弁には同じ枠と容器を使う仲間がいて、まとめて保温ケースで販売されている。中身を示す名称はシールで表示。すぐ食べればほのかに暖かく、一方で駅弁感はやや薄いが、味は引き立つし一般受けは良いと思う。2007年時点で現存していないと思われる。
2017(平成29)年10月21日に購入した、高崎駅弁のふた。その絵柄も構造も、1990年代から変わらない。
2013(平成25)年8月12日に購入した、高崎駅弁のふた。下記の2010年のものと、絵柄と中身と風味は同じ。価格の表示がふたの本体から食品表示ラベルへ移動した。2010年代になり、全国各地の駅弁で価格表記が消されている気がする。
2010(平成22)年9月4日に購入した、高崎駅弁のふた。下記の2000年のものと比べて、調製印から調製時間が消えたり、電子レンジに関する注記が増えたり、食品表示ラベルを貼るようになったり、ホームページのURLが入ったりと、時代に応じた変化が見られる。
2000(平成12)年1月2日8時の調製と思われる、昔の高崎駅弁のふた。基本的な絵柄は、下記の半世紀前のものと変わらない。今後もおそらく変えることはないだろう。食品表示ラベルが貼られないので、今のものより美しく見える。
1993(平成5)年11月1日12時の調製と思われる、昔の高崎駅弁のふた。記載事項の細かな変化はあるが、平成時代を通して同じ絵柄と構造が使われたことが分かる。
1970年代のものと思われる、昔の高崎駅弁の掛紙。過去や現在の伝統的な絵柄でなく、群馬県の観光名所と高崎駅舎の写真17点を並べる、当時で近代的な絵柄となっている。駅弁の名前と高崎観音のシルエットで隠れた文字を50年後に想像するのは、ちょっと難しいものもある。
1965(昭和40)年1月28日16時の調製と思われる、昔の高崎駅弁の掛紙。価格の他には、調製元の表記が活字になり、所在地と電話番号が変わったことが、下記の1961年5月のものとの主な違い。
1961(昭和36)年5月21日16時の調製と思われる、昔の高崎駅弁の掛紙。調製元は3者の合併で高崎弁当となったが、このとりめしは変わらずに受け継がれた。掛紙の絵柄は下記の従前とまったく同じで、東海道線云々の注意書きまで変わらない。
下記の掛紙の、調製月日時違いで同じもの。1958(昭和33)年10月に合併し高崎弁当となる前の、末村のもの。左端に「東海道線で不注意に窓からものを投げた為失明した人が出ました お互に注意しませう」という、柔らかく恐ろしい警告文が書いてある。
1950年代のものと思われる、昔の高崎駅弁の掛紙。昔や今の「とりめし」の掛紙に雰囲気が似ていて、しかし絵のレイアウトに加えて駅弁の名前も少々異なる。
1935(昭和10)年11月2日10時の調製と思われる、昔の高崎駅弁の掛紙。絵柄は下記のものとも戦後とも変わらないが、下記のおそらく1930年代のものの背景にあった稲穂はここにない。
おそらく1930年代、昭和10年前後のものと思われる、昔の高崎駅弁の掛紙。絵柄が現在の高崎駅弁の鶏めし弁当に似るのは、逆に当時の絵柄を今も受け継いでいるから。1羽の親鳥と2羽の小鳥に日の丸を描く、赤と緑で二色刷の掛紙。
昭和時代の初期の頃のものと思われる、昔の高崎駅弁の掛紙。上記や現在の鶏飯駅弁の掛紙と、似ているようで小鳥がいないなど異なる絵柄を持つ。名前も少し違う。