東京駅から東北新幹線はやぶさ号で約3時間。八戸市は青森県の南東端で太平洋に面する、人口約22万人の港町。かつて水揚げ日本一を誇った漁港と、県内一の工業地帯を誇る産業都市。駅弁は明治時代からの駅弁屋の駅弁が売られ、東京や北海道など東日本の各地でも盛んに売られる。1891(明治24)年9月1日開業、青森県八戸市尻内町。
八戸駅で買えた幕の内弁当。東京の西麻布の懐石料理屋のブランド「分とく山」を名乗り、その総料理長の監修とパッケージに書いてある。中身は白御飯と、カニ・ウニ・イクラ載せ茶飯と、焼鮭、いわし蒲焼、玉子焼、焼イカ、有頭エビ、ベビーホタテ串、白和え、菜の花、ナス田楽、ナガイモなど。
幕の内駅弁とも海鮮弁当とも言い難いような、見ても食べても整ったお弁当。中身の仕切りに木やプラスティックでなく、笹の葉を使う。なお、東京都の新宿駅でも、同じ駅弁の名前と調製元とコンセプトを持つ駅弁が存在するが、価格も中身も、パッケージの絵柄も異なる。こちらの価格は、2017年の購入時で1,180円、2019年時点で1,350円、2020年時点で1,400円、2023年時点で1,600円は東京のものと統合か。
※2023年7月補訂:値上げと現況を追記秋冬の駅弁大会シーズンに向けた、2022(令和4)年秋の新商品か。スリーブの絵柄は長い商品名と中身の写真と、文字数の多いおしながきで賑やか。縦横が整った長方形の容器の2区画に醤油飯を詰め、一方を鶏照焼と牛肉煮と豚焼肉で覆い、他方をシメサバとサーモンとヒラメで覆い、玉子焼、ベビーホタテ、長いも梅酢、ねぶた漬け、菊花の酢の物などを添える。オール青森あるいは青森県の東半分でできていると思う、名前に負けない力作も、どうも3か月で消えてしまった模様。
2019(令和元)年5月1日から1か月間ほど、東京駅や八戸駅で販売か。同月の改元を記念する駅弁。スリーブに写真が載る3区画の中身は、「赤飯と銀の鴨」「うにといくらの日の丸」「紅白にぎり」と名付けられ、それぞれ赤飯と鴨肉とれんこんと野沢菜辛子漬、白飯と味付け蒸しウニとイクラ醤油漬、玉子焼とサーモン寿司とサバ寿司が入っていた。スリーブの記述によると、1993(平成5)年の、当時は皇太子ご夫妻であった天皇皇后両陛下の結婚の儀で、「付焼鴨」としてメニューに用いられた、青森の代表的なブランド鴨なのだとか。
2018(平成30)年6月までに発売か。同年10月のJR東日本の駅弁キャンペーン「駅弁味の陣2018」にエントリー。中身はスリーブに写真と「九つのお惣菜を彩り豊かに詰め合わせた山海の幸」で表記され、俵飯、肉焼売と鶏唐揚と牛焼肉と厚焼き玉子、鮭ハラス焼、きんぴらごぼう、かぼちゃサラダ、ワカメ生姜煮、タケノコとニンジンとシイタケの煮物という、幕の内タイプの駅弁。俵飯6個を型押しでなく握りで詰め、各区画の焼き物や煮物の形状が美しく、確かに「彩り豊か」で、価格以上の上質感があった。2020年までの販売か。
※2021年3月補訂:終売を追記2016(平成28)年の秋までに発売か。この頃に札幌や小田原や神戸など各地の駅弁屋の名前で出ていた、既存の駅弁4種類の駅弁の詰合せ商品の、八戸駅の吉田屋バージョーン。スリーブに記されるとおり、「八戸小唄寿司」、「大漁市場」のおかず、「スタミナ源たれ牛焼肉弁当」、「津軽海峡かに・いくら寿司」を、田の字型に詰合せ。大漁市場の姿がない感じも、他の3種はちゃんと1/4サイズでそれぞれの味が収まっていた。主に東京都内で売られ、2017(平成29)年までの販売か。
秋冬の駅弁大会シーズンに向けた、2012(平成24)年秋の新商品か。小柄な正方形の容器を3個積んで、青森ねぶた祭と五所川原立佞武多の写真と解説を印刷したボール紙を四方から組み上げる。中身はシャモロックやスクランブルエッグなど鶏肉丼で1段、豚バラ肉丼で1段、ホタテフライや野菜ナムルなどのおかずで1段。見た目はチープでも、味は常温で良い感じ。また、内容の割に風味があっさりしていた。同シーズンのみの販売であった模様。
※2016年11月補訂:終売を追記2009(平成21)年に発売か。赤地に黒塗りの容器に透明なふたをして、青森県内の観光名所で春夏秋冬の4枚の写真を印刷したボール紙の枠にはめる。中身は日の丸御飯とイカ飯に、鴨肉、焼ホタテ、焼サバ、鶏唐揚、玉子焼、おから、きんぴらなど。幕の内駅弁の範ちゅうを超える内容は、元気が出る味。価格は2011年の購入時で1,050円、2014年時点で1,100円、2017年時点で1,000円、2018年頃までの販売か、あるいは2014年頃までには事実上の終売かもしれない。
※2023年7月補訂:価格の改定と終売を追記2010(平成22)年9月14日に発売。秋冬の駅弁大会シーズンや12月の東北新幹線新青森開業に向けた投入であろう。赤いプラ製トレーを接着した長方形の容器に透明なふたをして、中身や津軽のイメージ写真を掲載したボール紙の枠にはめる。中身はスパゲティのように太いやきそばに青のりと天かすを振り、牛バラ肉と味付飯と大根漬を添えるもの。通常のめんつゆを別添する。
常温で食べてもまずいものではなく、他の駅弁にない独特の雰囲気があるが、食後には汁の処分に困ってしまう面倒な商品でもある。しかし、この駅弁を購入する半年前に黒石の駅や市街を訪れているが、そこに焼きそば屋やその宣伝は見られなかった。半年間ほどの販売か。
黒石のつゆやきそばは、2008年11月から「B−1グランプリ」に連続出場している。「やきそばのまち黒石会」公式サイトによると、太くて平らなコシのある麺でソースがとても絡みやすい特徴がある、昭和30年代後半に「美満寿(みます)」で生まれた、今では黒石市内の約70軒で黒石やきそばが取り扱われているのだそうな。しかしなぜ、八戸の駅弁屋が黒石の商品を出したのだろうか。
※2016年10月補訂:終売を追記八戸駅の駅弁を名乗るが、どうも2010(平成22)年4月10,11日に東京駅で開催された第11回東日本縦断駅弁大会でのみ販売された記念駅弁である模様。八戸、一ノ関(2種)、仙台(2種)、小田原、米沢(2種)、郡山、直江津、長岡、松本、小淵沢で13種を数えた「戦国・歴史駅弁」のひとつ。なお、2003年にも同じ名前で同じ価格の駅弁が八戸駅で売られてはいる。
黒い正方形の容器を2段重ねにして、商品名や宣伝文を書いた掛紙を巻く。中身は上段が御飯で鮭押寿司、サバ押寿司、うにめし、はらこめし、ホタテ飯など。下段がおかずで鮭塩焼、煮イカ、蒸しウニパスタ、ごぼうこんにゃく、玉子焼、菜の花など。殿様との関係は掛紙に初代から九代までの名前と略歴を記すのみだと思う、豊かな海のお弁当。と思ったら掛紙には「山海食材宝庫」と書かれていた。
八戸藩は寛文4年(1664年)に盛岡藩からの分割で誕生し、その領域は現在の青森県八戸市から南は岩手県の久慈市や葛巻町に至るエリアとされる。掛紙記載のとおり南部家で九代まで続いた後、明治4年(1871年)の廃藩置県を迎えた。今でも冷害に襲われやすい場所柄、2万石という規模、あるいは浪費や災害で必ずしも豊かな藩ではなかったようだが、やはり昔も今も海産物には事欠かなかったのだろう、この駅弁も海だらけとなっている。
2007(平成19)年までに発売。強度のあるクリーム色のプラ製円形の容器を、中身の食材の写真を美しく印刷したボール紙の枠にはめる。中身は酢飯の上に錦糸玉子とサケとサバとイクラとホタテを錦糸卵を貼り付け、柴漬けを添えるもの。つまり、「八戸小唄寿司」と「青森いち押し弁当」の合成品。
東京駅や上野駅で買える吉田屋の弁当は八戸駅弁と言えるかどうか。パッケージや公式サイトでの写真と違い、具のそれぞれが微量だし、味も以前はこの程度でなかったような気が。調製元に製造委託の記号まで付いてしまい、もうすっかり都会の悪しき弁当となっていて、がっかりした。2012年か2015年までの販売か。
※2016年11月補訂:終売を追記下記の駅弁「海弁」の姉妹品として、2006(平成18)年に発売か。すっきりしたデザインの大きめな長方形紙箱を容器に使用、トレーに詰める中身は、白御飯と山菜御飯、牛煮込にトンカツ、ちくわとサツマイモの天ぷら、玉子焼、タケノコなどの煮物、きんぴらやナガイモなど。「海弁」と同様、分量と風味が充実する一方で食材の詰め方が雑だが、その日の気分によっては盛り沢山なイメージを持てるだろう。2008年頃までの販売か。
※2017年5月補訂:終売を追記東京駅「駅弁の日記念駅弁大会」に合わせて、あるいは桜の季節に合わせて、2008(平成20)年の4月に発売か。楕円形の容器に透明なふたをして、弘前城と桜の花を描いたボール紙の枠にはめる。中身はリンゴ酢を使ったピンク色の酢飯の上にイクラと小海老と桜花を散らし、焼鮭や帆立や鶏肉、椎茸や人参やレンコンやタケノコ、菜の花などを添えるもの。
駅弁も含めた弁当に希な赤系統の色がふんだんに使われた、春いっぱいの駅弁。ただ、価格に見合う内容と分量かと聞かれれば、そうでもないような。そもそも弘前は八戸と国が違い、地理的にも距離的にも鉄道でも近くはない。あるいは、この弘前を名乗る八戸駅弁は津軽平野でも販売されるのだろうか。2008年と2009年の春に売られた模様。
弘前城の跡地に明治時代からせっせと植えられた桜は、ちょうどゴールデンウィークに満開となるため、毎年200万人以上の観光客を集め、地元最大のビッグイベントとなる。しかし50種2600本の見頃が平年より早まるとGWには葉桜や散り際を見ることになり、近年にそういうことが起きると地球温暖化と絡めて報道されるようになった。
※2016年11月補訂:終売を追記2006(平成18)年に発売か。すっきりしたデザインの大きめな長方形紙箱を容器に使用、トレーに詰める中身は、白御飯とうに御飯、サバ味噌と鮭ハラス、イカ、エビフライ、ホタテ、笹蒲鉾、玉子焼、煮物など。分量と風味は、特におかずの部分において価格以上の充実ぶり。しかし食材の詰め方が雑を極めており、見栄えだけで後味を不味くした。競争相手の撤退と新商品の出し過ぎで、普通の駅弁屋がけっこう重視している弁当への心遣いが薄れたのだろうか。価格は2007年の購入時で1,000円、2008年7月1日から1,050円。2008年頃までの販売か。
※2017年5月補訂:終売を追記2002(平成24)年12月の東北新幹線の八戸延伸に向けて、同年の3月に発売。後に「大人の休日」ブランドの一員となり、期間限定を繰り返しながら、2006年過ぎまで販売された模様。
黒塗折箱風の容器に、カラーコピーやカラーレーザープリンタ特有のにじみがある普通紙の掛紙をかける。中には6つの紙皿が入り、それぞれウニ御飯、鮭と鯖のバッテラ、鮭と殻付カニとイカの焼物に鮭氷頭の酢の物、煮物、海老や舞茸等の天ぷら、お新香が入る。12〜3月はウニ御飯がホッキ貝御飯に替わるという。価格の分だけ味はよい。これほど中身に空間の余裕がある駅弁は、以前の八戸駅になかったはず。
八戸駅は新幹線の延伸で駅は一変したが、駅弁事情もまた一変した。新幹線の開業時はもちろん、それ以降にも次々に新製品が出て、20種類前後の駅弁に迷える駅となり、以前の八戸駅弁の代名詞「八戸小唄寿司」などすっかり影が薄くなるほど。今後に予定される新幹線の新青森駅への延伸後にも生き残れる名物が、生まれるかどうか。
※2016年10月補訂:終売を追記1970年代のものと思われる、昔の八戸駅弁の掛紙。価格その他の時事情報がないので時期を絞れないが、八戸の市内局番が2桁になった1970年頃以降のものか。種差海岸の風景と、八戸の郷土玩具である八幡馬(やわたうま)が描かれる。
1926(大正15)年7月27日19時の調製と思われる、昔の尻内駅の、現在の八戸駅の駅弁。東北本線の八戸駅は八戸の町外れの田んぼの中にあり、市街の北縁にある八戸線の本八戸駅が八戸駅を名乗った。1971(昭和46)年の2月に八戸駅を本八戸駅に、4月に尻内駅を八戸駅に改称し、この都市の駅名が本線に進出した。